「境界知能だから無理」を覆す。倍率3.8倍の壁を越えて大学に合格した僕のすべて

勉強

こんにちは。
僕は「境界知能」と「ADHD&ASD」の併発というハンディキャップをもっています。
学校では黒板の文字を理解してノートに取る前に次に進んでしまったり、周りの音が気になって集中できなかったり、体育では先生の指示が理解できず周りを見て一生懸命やるべきことを理解しようとしてきました。

それに加えてクラスでも孤立していたのでペアを作るときに一人になってしまうこともあり、かなりストレスでした。

そんな日々を過ごしている間に気が付けば受験生。
必死に勉強していく中で「障害」が邪魔をし、「普通の頭の人と勝負するなんて無理だ」「もし普通の頭だったらどんなに楽だったかな」などと考えるようになり、諦めそうになることが何度もありました。学校生活もつらかったです。

しかし、2026年の春。
僕は倍率3.8倍という決して簡単でなはい入試を突破し、無事に大学合格をつかみ取ることができました。

この記事では、ぼくがハンディキャップを持ちながらどうやって諦めずに勉強をつづけ、倍率3.8倍の壁を越えたのか、そのすべてを書いていきます。

「自分には無理かもしれない」と悩んでいる受験生や、同じような悩みを持つ方に、少しでも希望をもっていただけたらうれしいです。

ADHDの多動を武器に。毎日4時間の猛勉強をスタートできた理由

僕が本格的に受験勉強を始めたのが3年生の6月です。
高校ではボクシング部に入部していたのですが、最後の県大会で敗北。
そして引退しました。
引退するまでは一生懸命ボクシングに打ち込んでいたので、急に打ち込めるものがなくなり、その熱が勉強へシフトチェンジしました。

まずは何をしていいかわからなかったのですが、親や学校の先生が「英語が大切だ」「英語は避けて通れない」などと言っていたことを思いだし、なんとなく英語の文法・語法の勉強をすることに。
学校の10分休や昼休み、放課後学校に残り3時間、登下校の電車の中で合わせて1時間の計4時間とちょっとの勉強から始めました。

はじめからこんなにたくさん勉強できたのは皮肉にも「ADHD」のおかげだと思っています。
僕は「ADHD」の多動の傾向が強く、何かしていないと耐えられない性格でした。

そして努力することが大好きでした。
「このまま努力して普通の奴らを超えてやる」そう思って勉強しました。

「太るのも、休むのも怖い」ー暴飲暴食のトラウマと境界知能の焦りが生んだ限界生活

そんな思いで勉強していると、夏休みになりました。夏休みはYouTubeなどで「夏休みにやるべき参考書ルート」などと検索してそれ通りに参考書を購入し、勉強しました。
勉強時間はきっちり12時間と決めてやりました。
夏休みは普通の人と差をつけるチャンスだと思ったからです。
そして、高校1年生から通っていた個別指導の塾をやめました。
理由は「ASD」の特性である「こだわりの強さ」です。
先生に言われたことをやったり教えてもらうよりも、自分のやり方で勉強したいと思ったからです。

そんな生活を1週間くらいしていると、手や足がむくみ始めました。
最初は気にしていなかったのですが、日がたつにつれ赤い斑点も出るようになりました。
おまけに、とてもかゆくチクチクもします。
さすがに勉強どころではなくなり、皮膚科へ行きました。
原因は不明でしたが塗り薬を処方してもらいそれを塗りました。

その後1週間程度で徐々に症状は軽くなっていきました。
親には「12時間も座りっぱなしだから血液のめぐりが悪くなっちゃんたんだよ。これからはこまめに立ったり、散歩したりして休憩を取りなさい。」と言われました。
僕は「冗談じゃない」と思いました。
ただでさえ境界知能なのに休憩なんかしたら合格できないとおもっていたのです。

さらにそれ以外の理由に思い当たることがあったのです。
それは食生活です。僕は受験勉強を始める前にボクシングをやっていたのですが、試合に出るために5~6kgを2か月で減量していました。
そんなことをやっていたので試合が終わると反動で暴飲暴食が止まりませんでした。
なのでまわりから「太った?」「顔パンパンだよ」などといわれました。
その時は笑顔で返していましたが、実はショックでした。

そんなこともあり、引退後は運動をしなくなり、さらに「太ってしまうのではないか」と思うようになり、夏休みはご飯を食べるのを控えようと思っていたのです。
朝はおかずと汁物に白米を少し、昼はゼロカロリーのエナジードリンクと栄養バー、夜も朝と同様に白米少しにおかずと汁物を少し食べました。

そんな生活をしていたからうまく体が機能していないだけだと思っていました。
薬を処方されてからはすぐにまた勉強に戻りました。夏休みの中間には模試を受け、終わりにはオープンキャンパスなどにも行きました。

赤本はわずか4割。学校再開で「自分のペース」を失い、押し寄せた不安と焦り

そんな生活をしていると夏休みが終わり、学校生活が始まります。夏休み中に受けた模試の結果は「C」でした。
夏休み中しっかり勉強しましたがそう甘くはありませんでした。
だけれども、なかなか結果が出ないことには慣れているし、そもそも「C」だって受かるか、落ちるかのちょうど半分の50%ラインだから大丈夫だと自分に言い聞かせました。

そこではじめて赤本をやってみることにしました。
僕は国、英、日本史の3科目受験とその中の成績がいい2つの教科で勝負する2科目受験で勝負することを計画していたのですが、結果は4割しか取れませんでした。

内容も難しいのですが、なによりも時間が足りません。
しっかりやろうとすると国語は30分オーバーで英語は60分オーバーしてしまいます。

実は処理速度指標(PSI)が著しく低いのです。日本史は暗記なので時間内に終わらせることができます。
3科目受験のボーダーが6割で2科目受験のボーダーが8割です。
受験日は2月です。「まだ5か月もある。焦らず分からないところをつぶしていこう」そう思い勉強していきます。

しかし学校が始まると、夏休みのように自分の好きなように時間が使えなくなり、自分のペースで学習出来なくなってしまい、不安や焦りがでてきました。
それに加え、クラスでも孤立していたので、話す友達もいなく、心が暗くなっていきました。

過集中が招いた誤解と、傷つけられたプライド。11月、先生の一言で心が折れた日

そんなか2か月がたち11月になったある日のこと。僕がいつものように授業の合間の10分休みに英単語長を見ていると、「おい!なにしてる!授業始まっているぞ!」と先生に大きな声で怒鳴られてしました。
僕が気が付かないうちに授業が始まっていたのです。
「ごめんなさい。」僕は申し訳ないと思い謝りました。
すると、「ごめんなさいじゃないだろ!正しい日本語も使えないくせに英語の勉強なんてするな!
後で調べてみると「ごめんなさい」は対等な関係や子供が使う言葉で、先生など目上の人に対しては「すいません」や「申し訳ありません」というべきだったのです。
しまいには「気分悪りぃ」などと言われていまいました。
クラスのみんなの前で怒られたショックと、険悪な雰囲気にしてしまった申し訳なさで心が痛かったです。
ADHD」の特性である過集中によるもので、悪気があったわけではありません。

このとき、我慢していた何かが「プツン」と切れてしまい、無気力になって今しました。
みんなの前で怒られたことによりプライドが傷づけられました。
そして恥ずかしさもありました。
親に「学校に行きたくない」と泣きながら言うと「いいよ、今までよく頑張ったよ」と言ってくれました。

その日はベッドで横になって休むことにしました。
翌日、やる気がない中、頑張って机に向かって国語の文章問題を勉強することにしました。
そのときに絶望しました。文字が読めません。音として理解できるだけで、意味が全く取れないのです。
同じ一文を5回読んでもすべて理解することは不可能でした。

精神科を受診し、一度立ち止まる。「頭の中にゴミがたまっている感覚」と心が壊れる恐怖

なので一度精神科に行ってみることにしました。そこで安定剤と多動を抑える薬をもらい服用しながら、1週間勉強から離れてみることにしました。休む時は勇気がいりました。休んだらほかの受験生に差をつけられてしまう。しかし、休まなかったら心が壊れて後遺症が残ってしまうかもしれない。2つの気持ちの板挟みでしたが、勇気を振り絞って休みました。

休んでいる間は寝てるだけじゃどんどん悪くなってしまうのではないかと思い、頑張って映画を見ることにしました。それから外を散歩したり、ゲーセンに行ってクレーンゲームをしたり、デスソースを食べたりしました。後で知ったことですが、クレーンゲームで商品をとるとドーパミンが得られるそうです。そして、デスソースなどの辛い物を食べることは自傷行為と共通点もあるそうです。限界を迎えていたのです。

そしてピークに比べるとだんだんと落ち着いてきました。まだ問題文を読むのは怖いので試しに小説を読んでみることにしました。すると意味が取れました。そこから少しずつ勉強に戻ろうとしました。まずは暗記物の日本史からやることにしました。頭のなかにゴミがたまっているような感覚の中勉強しました。

そして、国語もなんとか読めるようになり、過去問をやることにしました。結果は夏休み明けと変わらず、時間オーバー。このとき、「もっと早く過去問を解いていれば時間がないことに気づけたのに」と思いました。

初めて知った「合理的配慮」の存在。ダメ元で大学へ電話し、最後まで諦めないと誓った日


そんなとき、なんとなく大学のホームページを眺めていると、「障害者の受験生へ」という項目があり、そこをクリックしてみると、「配慮申請の手続き条件」がでてきました。そこには診断書が必要なことや、高校でどんな配慮を受けていたかなどを証明することが条件でした。

ここで初めて知ったのですが、2024年4月1日から合理的配慮の義務化が実施されていたのです。発達障害があることは学校に報告していたのですが、特別な配慮はしてもらっていませんでした。

ですが、ダメもとで大学に電話をして申請手続きを行いました。内容は「境界知能による試験時間の延長」です。期間は過ぎてしまっていたにもかかわらず、大学は丁寧に対応してくれて、審査もしてくれました。

結果は不採用でした。しかし、「もうここまでやれる手は尽くした」「後悔のないように最後まであきらめずやり切ろう」と思いました。

英語を捨て、Geminiを相棒に。試験3日前に「8割突破」を果たした怒涛の逆転劇


ここからはまず冷静に現状を考え、今やるべきことを考えました。そして英語は捨て、2科目で勝負することに決めたのです。そして、赤本の過去問を解きまくりました。12月になっていました。赤本は回答の解説がないので生成AIのGeminiを使用して答えの理由を論理的に教えてもらいました。

そんな生活をしていると2か月が経とうとしているとき、希望が見えました。試験まで残り15日のある日、2科目で6割をとることができました。ボーダーである8割には届きませんが、希望が見えはじめてきます。(受かっても落ちてもおかしくないぞ…)

そして試験まで残り3日、ついにボーダーの8割を超えました。胸が高鳴るのを感じました。(本番でミスさえしなければ…)(問題の傾向が同じならいける!)そう思いました。

そして試験当日になり、3日間受けます。頭の中はゴミが詰まったような感覚でベストな状態ではありません。英語は最後まで時間オーバーでしたが、国語と日本史は無事やってきたことを出し尽くせました。後悔はないです。

そして、合格発表の日になりました。スマホで大学のホームページで確認する仕組みです。手に汗を握りながら受験番号を入力していきます。(たのむ…)覚悟を決めて「合否結果を見る」をタップしました。結果は赤い文字で「合格」でした。「おっしゃー!!!やったぞー‼」今までたってきたことが実りました。

このようにハンディキャップを背負いながらも倍率3.8倍の入試を突破し、無事に大学合格を勝ち取ることができました。

境界知能や発達障害を持っていると、どうしても「普通の人と戦うなんて無理だ。」と考えてしまします。でも僕が伝えたいのは、「諦めずに続けること」、そして「自分に有利な情報をたくさん集めて他と違った自分なりのやり方を見つけることが大切だ」ということです。もし今、「自分なんかダメな人間だ」「無理かも」と悩んでいる人がいたら、諦めず続けてみてください。辛かったら休んでもいいんです。休むと諦めるは違います。諦めなければ、道は必ず開けます。僕のこの体験が、誰かの一歩を踏み出すきっかけになれればうれしいです。

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